- ある人を中心に、まわりにいる人が歩む人生を追いたい人
- あなたの心の中にある幻想に気づき、愛とは何か?考えたい人
概要
タイトル | 私が語りはじめた彼は |
著者 | 三浦 しをん |
出版社 | 新潮社 |
私は、彼の何を知っているというのか? 彼は私に何を求めていたのだろう? 大学教授・村川融をめぐる、女、男、妻、息子、娘――それぞれに闇をかかえた「私」は、何かを強く求め続けていた。だが、それは愛というようなものだったのか……。「私」は、彼の中に何を見ていたのか。迷える男女の人恋しい孤独をみつめて、恋愛関係、家族関係の危うさをあぶりだす、著者会心の連作長編。
引用:Amazon商品ページ
本を読んだ感想
まっすぐに話そうとしたのは、呼人だけだった
この物語を読んでいると、誰も本音で話していない、発端となる村川教授を差し置いてどんどんまわりが歪んでいくのが分かります。
私がこの小説の中で一番好きなのは『予言』です。
その理由は、ここに出てくる呼人がほとんど唯一のまっすぐに語る人だからかもしれません。
「本当に愛されているのは私」「きっと疑われている」などと心の中で思いながら、それを村川教授本人に投げかけるでもなく歪んでいくまわりの人々。
でも呼人は、離婚を告げる父にちゃんとぶつかるのです。
村川教授にうまくかわされても。父恋しさに会いに行き、「現在の家族」を見せつけられても。
そんな呼人だから椿のような優しい友人と出会えたのだろうし、本音を話すことができたのでしょう。
相手に伝わるかどうかは別としても、痛々しいまでに正直に悲しみや怒りを表現できた呼人は強いな。
呼人はまだ子どもで、子どもだからこそまっすぐに傷つき、悲しみ、怒ることができました。
そしてそんな重大な出来事があっても、それは終末じゃない。
静かにそれを受け入れ、超えていく姿が清々しいと感じるのです。
世界は平らじゃない。まったくだ。俺はスクリーンを眺めながら、久しぶりに終末に関する予言を思い出していた。山も坂も全部吹っ飛ばすほどの終わりなんて、きっと来ない。ただ、灰のような雪が降り積もっていく。いっそ全部を埋めつくして、地球がいまより一回りでかい、まんまるな雪の玉になってくれればいい。
引用:『予言』
でも想像の中でもそんなことは起こらず、道は道のまま、海は海のまま、家々の屋根の形もそのままに、静かに雪は降るのだった。
綾子はなぜ死んだのか?母の監視、渋谷先輩…どこまでが現実か?
村川綾子は、村川教授の義理の娘。村川教授は、母の不倫のすえ一緒に暮らすことになった義理の父です。
大学生となった綾子は上京し、一人暮らしをしています。
その暮らしぶりは向かいの棟から大学の先輩・渋谷に監視され、母に報告されています。
「自分と義父との関係を母に疑われている」
「母は因果応報を恐れ、不倫から生まれたこの家族を必死に守ろうとしている」
綾子の言い分はこうですが、渋谷はそれこそが綾子の思い込みで、そんな事実は本当はないのだと感じています。
『水葬』はなんだか不思議な物語なのですが、その後の『冷血』を読み進めていくとまた新たな疑惑が浮かびます。
母の監視の意味も渋谷の存在も、『水葬』全体が綾子の作り上げた幻想なのでは?
のちに綾子は本当に入水自殺してしまったことが分かるのですが、その浜辺には綾子の靴と、渋谷が書いたとされる監視ノートが残されていました。
本当に渋谷が役割を全うする闇の監視人なら、そのようなノートを残すはずがありませんよね。
のちの編を読むことで、母の監視、渋谷の存在を含むこの『水葬』全体が綾子の作り上げたものなのでは?と、根元から疑わざるを得なくなるのです。
それぞれの心の中に存在する、それぞれの「彼」
あのひとの言葉が時間を超えて、再び耳の底で鳴り響く。
引用:『家路』
でもいまは、村川や太田春美を哀れと思います——とても哀れだと。
本当にそのとおりだ。先生は女たちに愛を求め、女たちは先生を愛した。だが、先生を理解したものはなく、先生に理解されたものもいない。だれ一人として。愛をむさぼりつくしたはずの太田春美は、いまや足跡を残さぬ幻の葬列を率い、うつろな眼差しで歩いている。
深い山に積もる雪のように透き通って気高いものが、いつのまに、屈服させ従属させる凶器と鎖に姿を変えてしまうのか。
愛するということと、理解するということ。
村川教授とそのまわりの女性たちを長年見てきた三崎は、やっと気づくのです。
誰も正面から相手を理解しようとはしていない。村川教授も、まわりの女性たちも。
それぞれが胸の中にいる村川教授を勝手に膨らませ、翻弄され、その幻想に苦しめられています。
何か思うことがあったとき、それが真実かどうかはもう、素直に「訊いてみる」以外にないのかもしれません。
そんな単純なこと…と思いかけ、それが本当にできている人は私を含めいったいどれほどいるのか?と立ち止まります。
ちゃんと訊くのが怖くても、勇気を出して問いかける。その人を理解しようとする。
三崎が気づいたように、それこそが本当の愛なのかもしれないですよね。
おわりに
村川教授自身の描写がないので、彼自身が自分のしたことについてどう思っているのかは分かりません。
でもそれだからこそ、いかにまわりが勝手に村川教授を作り出しているのかがわかる物語でした。
今私が思っていることも、理解していると思っていることも揺らぎかける感覚。なんだか怖かったです。
すべてのことがそれぞれの思い込みでできている。それに飲み込まれないように、目の前にいる人のことを理解したい。
そういう気持ちはいつも持っていたいな。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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